2011/10/12

読了した書籍のエッセンス(10) キュレーションの時代-「つながり」の情報革命が始まる/佐々木俊尚

目次は以下の通り。
◆ プロローグ ジョゼフ・ヨアキムの物語
◆ 無数のビオトープが生まれている
◆ 背伸び記号消費の終焉
◆ 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
◆ キュレーションの時代
◆ 私たちはグローバルな世界とつながっていく

この目次にキーワードの説明を組み合わせれば、エッセンスになる。
ビオトープ:「生息空間」価値観が多様化かつ先鋭化してきた中で、年齢、性別、国籍、居住地などでは特定の価値観を持つ層にリーチすることができなくなってきたと著者は言う。その中で、特定の価値観を持った人々が集まる空間をビオトープと表現している。
背伸び記号消費:高級車やブランド品によって自己表現し、自己満足しようとする消費行動。車を移動用の機械と割り切る若者を草食系と揶揄する前時代的価値観を著者は厳しく指弾している。
視座:意味は字の通り。他人のもたらした情報に新しい情報を付け加えることで、新しい視座を与えることで、意味を再定義する(=セマンティック・ボーダーを組み替える)人のことを、著者はキュレーター(原意は学芸員)と呼んでいる。

少し長くなるが、引用すると…
第三者であるキュレーターが付与するコンテキストによって、視座はつねに組み替えられます。キュレーターがソーシャルメディアの中で無数に立ち上がってくればくるほど、その視座は無限に拡張されていく。それこそがセマンティック・ボーダーの組み替えにほかなりません。そして、このセマンティック・ボーダーの不安定化は「ゆらぎ」を生み出し、その「ゆらぎ」こそがセレンディピティの源泉ということなのです。

内容はよくわかるのだけれど、何となく諸手を挙げて賛同する気になれないのは、学芸員が調子に乗りすぎている博物館に対するゲンナリ感のようなものかもしれない。
有名になりたいとか、売れたいとか言った色気を抜きにしてなされた名も無き名作に光が当たることはすばらしいことだ。しかし、本人が意欲を持って企画し、丁寧に取材する一次情報の創り手の価値の尊さを忘れてはいけないとも思う。